友人がブログに、信じていた人の
携帯を見てしまったことを書いた。
「携帯がなければ繋がっていられない関係ではないし
携帯があるからこじれるようなことはない」と信頼してた
上での、彼女なりの終わりを見据えて腹をくくった
行動だったのだと思う。
でも携帯を見た時点で彼女はもう信じられなくなってたんだと思う。
私は何度もそれを読み返してた。
携帯がなくなったら、SNSがなくなったらそれまでの
人間関係なんて、ホンモノじゃないよね。情報・連絡ツール
が多すぎて「本来会うべきじゃなかった」人たちにも出会って
ないかい??
かたや、それらがあったからこそ出会えた「ご縁」
もあるのだろうけど。
一回すべて捨ててみたいな。そしたら本当に出会うべき人たちだけ
残るかもしれない。
・・・・なんて。。
便利になりすぎたせいで大切な人の見えない部分を、信じることを人は
できなくなってきてるのかもしれない。
見えない(見ない)部分を信頼しあえる人間関係こそ素晴らしいと思う。
恋愛関係や夫婦間だけじゃない、親子間でも。
なんて思いにふけっていたら、熊本の親戚から電話が入った。
バリバリの熊本弁と独特のイントネーションがとても懐かしくって、
妙にほっとする。
なんと、その親戚のとある仕事場で(そこはとあるお店)私のCDがかかってた
らしく、「これ有里知花ですよね~」って言ったら
「中学の頃の英語弁論大会での友達なんです~」ってさ!
「え~~!?親戚なんです~~!!!」って言ったらしいけど(笑)
ご縁ってこういうものですね。
話はとぶけど、相手を思いやるという能力は、相当高いもの
なんだって。
それがチンパンジーにもあるとわかったらしいよ。
今日はイマイチまとまり悪くてスミマセン。
ツールはなんであれシンプルでいれば正しいときちゃんとつながれると信じています。
じゃないと説明のつかないシンクロがあまりにも多いからね。
こないだは知らない土地で店がわからなくて迷っていたら、前から友達が歩いてきて教えてくれたんだ。
なんか携帯で聞くものな・・・と思って探そうとしていたからうれしかった。
求めれば現れる。
こんなかんじ?
ちがうか~!!
投稿情報: nobu | 2007年9 月27日 (木) 14:10
↑
「求めれば現れる」かぁ。それは言えてるよね。すべての出会いは偶然ではなく必然のような気がする。
求めていたから「偶然の出会い」が「必然の出会い」に代わっていったのかもしれない。。
携帯や電話やPCが無くてもなんとでもなると思っているけれど、コミュニケーションの手段として増えることは文化じゃないかな?
面と向かって話してもらえなくても、カウンター席のように隣りになったら話してもらえるコトもある。。(俺は目を見ていたいんだけど)
話し変わって、英語で弁論大会しちゃうなんて、すげぇな知花ドン!
(モチロン、ルー大柴のようなEnglishじゃないんでしょ?)
投稿情報: 葛飾のオヤジ | 2007年9 月27日 (木) 22:16
nobuさん!
そうですね、求めれば現れる。たしかにです。
ここ一週間くらい私も連絡しようと思ってた人から連絡きたり思い浮かんだ人にばったり会ったりが多くて、アンテナたってますね。
葛飾のオヤジさん!
中3のときに、英語弁論大会で全国3位(東京都、関東は共に1位!)とったことあるんですよ。えへへん。
投稿情報: 有里知花 | 2007年9 月28日 (金) 12:03