茅ヶ崎のahu ahuで、hokule'aの
スライドショーや映像を見たり、
思いの丈を語る(笑)というイベントがありました。
・・・・ahuahuの美味しいミックスプレート食べながら。
しってる?ミックスプレートのルーツは日本の「bento」から。
おぉ、我が心の故郷、ハワイイよ。
ホクレアはただ航海をして日本にやってきただけでは
ありません。数々のドラマを残し、数々の教えを私たちの
心に残していってくれたのです。
中でも、私が特に今回関心したのは、日本には「祈りの場所」
である仏閣や神社がなん千年という時を経て残っている
ことが普通であることの素晴らしさです。
ハワイはその昔、アメリカに魂を奪われてしまったわけです。
私が去年行ったヘイアウと呼ばれる聖地も、今は石や形跡
が残っているだけ。
ハワイの宗教は宣教師たちに禁止されてしまったから。
確かに、それを守り続けている日本は素晴らしい。
当たり前すぎて考えてもみなかった。
しかもホクレアクルーはそこに泊まったりしているのだから
思うところはもっともっとあったのだろうね。
でも、アメリカ人がやってこなければ今のハワイアンミュージック
もない(賛美歌の影響を受けたり、カウボーイが持ち込んだ
ギターの弾き方がわからずに自分でチューニングを編み出した
スラックキーギターなんかがうまれたしね~)のだよね。
んんんんん。
今回、ハワイイの御神木に平和の神LONOを彫るという大役をつとめた
ハンセンさんはこう言っていた。「人間には辛さや苦しさという負荷
が用意されてるが、その負荷から逃れるために文明が発達した。
負荷から逃れることは人間の本来持つ人間力の損失という代償を
払う。文字の獲得こそ語り継がれる事柄こそ直接心に響くことを
忘れさせた文明だ。
ホクレアは、そんなことを教えにやってきた。負荷だらけの環境
の中で風と人間力だけを頼りに、長い航海を成功させた。」
と。
そうです、それこそホクレアが私たちに教えてくれたこと。
ホクレアは次世代を担う子供たちの心にも
大きな影響をのこしてくれた。
子供の意見を聞いたのがとても今日は新鮮で
嬉しかった。彼らの心にも「ハワイからカヌーがきた!」
という思い出は一生残るんだろうな。
そんな厳しい航海を経てきたMAKAが
のこしていった防水バケツ。まだ彼がいるような
気がしてならんのだよ。どんな思いでこのバケツに
文字を書いたんだろうね。
ハワイアンルネッサンスも、Eddie Aikauの死も見て
きたMAKA。あの優しい目の奥にはいろんな歴史が
あるんだろうな。そんなMAKAがそれぞれの目線に
あわせて話をしてくれ、一緒にカヌー漕いだり、
音楽をシェアしたり、「同等な人間」だったことが
今も信じられないまま。。
ホクレアに積んであった食料とか
食べながら。色んなことを考えさせられた。
これ、美味しかったのよ。
クルーも道中食べたのでしょう。
やめられないとまらない。
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