父や叔母やいとこ、たくさんのひとたちが
育ち、巣立った東京中野のおうちが
来月取り壊されることが決まり、お別れ会に
いってきた。
私にとっては「おばあちゃんち」なんだ。
築うん十年。青梅街道のいろんな歴史を
見てきた家。
戦争も、関東大震災も知ってる家。
おばあちゃんと私との思い出がいっぱい詰まった家。
父が中学生くらいの時、
ハワイアンのバンドの練習してた
というガレージ。いわゆる車庫ですが。
私にとってのおばあちゃんの思い出
いっぱい詰まったベランダ。
おばあちゃんはよくカスミソウを育ててたっけ。
今は亡き祖父の直筆のはがき。
父の通信簿もでてきたっけ。
あと戦後の衣服配給券とか。
ひとつひとつがドラマチックだった。
どれだけの人が上り下りしただろう
階段。すごく急で、小さい頃は四つんばいに
ならないと上がれなかった。当時飼ってた
猫のタマの真似~とか言ってね。
タマももう、天国に行ってしまった。
そして、このおうちをずっと見守り
続けてきてくれた枇杷の木。
すっかり大きくなった。その昔、食べた
枇杷の種をぷっと捨てて、ほんとに育った
らしい。もう青い実が今年もなってるけど、
来月伐られちゃうんだ。お神酒をあげました。
ありがとう、枇杷の木さん。
ひとつひとつを、目に焼き付けてた。
集まったたくさんの親戚みんなそうだった。
今古民家再生とか流行ってるけど、
やっぱり日本家屋は理にかなってる。
いろんな仕掛けがいっぱいだった。
そんなの小さい頃は知らなかったよ。
さて新田義貞の末裔なのは有名ですが、
家系図も立派なのがあってね、
元は清和天皇なのです!
身がひきしまるね。
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